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☆写真の部屋 シルクロード☆

シルクロードの旅の記録。

第4日目 終日敦煌  1999.09.28
 7:00起床、今夜は連泊なので荷物はそのまま。
 8:30莫高窟にむけ出発。走っている道は国道で上海まで5000Km!!!。市街はすぐ切れ畑が続く。ブドウと綿は見えたが他は何を作っているのか良く分からない。野菜は見えなかった。バスの中から昨日遊んだ鳴砂山が遠くに見えバスの走る方向に延々と続いている。畑が切れるとゴビ。

ゴビの中に土盛りがあちこちみ見える。お墓だそうで、ゴビの持ち主は定まっていずどこに埋めても良いそうだ。家族はそばに埋めるのが普通らしい。もちろん卒塔婆も何もない。でも見分けがつくらしい。延々と続く。昨日のアスターナ古墳も同類だろう。2000年後にはミイラで掘り出されるかもしれないと思うと悠久の変わらぬ時の流れを思う。お墓地帯が終わると単なるゴビ、ひた走る。

 遠くに見えていた鳴砂山の山並みが近づいてきて渓谷に入るなと思ったらそこが莫高窟だった。
 南北に延びる渓谷の1.6Kmに渡って600の窟が掘られている。山岳とゴビに囲まれて辺境にあったおかげで、異教徒による破壊にも外国の探検家による持ち出しも文化大革命による破壊にも会うことなく済んだそうだ。
 バスを降りる。肌寒い。 莫高窟のシンボル第96窟が遠くから見える。
外から見える唯一の窟。他はポプラで見えない。

近づく、感激。みんな写真に撮っている。これより中は撮影禁止。カメラ類は入り口に預ける。

 外から見ていた96窟の中に入る。でかい。34.6mの威容。1300年前の作。窟の前をおおう建物は9階建て。中にはでかい大仏が作られている。わらなどの繊維と土で中をかため外は漆喰をぬってその上を彩色している。
 第130窟。これにもでかい仏像が安置されている。
 第148窟。涅槃像。つまりお釈迦様が亡くなって横になられた姿。
 第61窟。五台山の絵図が描かれている。絵には説法が描かれていてガイドは説法の内容と絵の対比をいろいろ説明してくれるがとても記憶できない。ただ大きな窟の四方の壁や天井に描かれた細緻で綺麗な彩色の絵には感心するばかり。
 第57窟。唐初期に作。入って左側の壁面に描かれた観音菩薩。莫高窟でも屈指の名作。顔の輪郭などが立体的にほんとに綺麗に描かれている。金箔もきれいに今まで残っている。もちろん幾分は退色しているがほぼ描かれたそのままがうかがわれる。撮影禁止が残念。
 第45窟。菩薩の像が六体。いずれも何もかも包み込んでくれそうな優しい顔。そして優雅な流れるような曲線の衣をまとった全体像。壁面には第61窟のように説法がお経の代わりに庶民にも分かるように絵図で描かれている。
 第16窟と第17窟。一番面積が広い窟。入り口の右側が17窟で、この中に沢山のお経が隠されていたのが発見され有名になった窟。
 第329窟。ここは高い天井に描かれた飛翔天女がみもの。壁面には象が空を飛んでいる。飛ぶはずがない象がいかにも空を飛んでいる感じがすごい。
 第323窟。ここも絵図。ここは電灯つけてプロの画家が模写していた。他の窟は全て真っ暗。各自とガイドが照らす懐中電灯の光だけ。

 駆け足2時間で、これらの窟を見学したがもっとゆっくりと多くの窟を見たかった。しかし短時間に見ただけでも広大な壁面と天井に描かれた細緻な絵図と躍動感あふれる像に感動。荒削りなものは一つとして無くみな精緻。「いい仕事をしているねえ」。
 当時の画家や工匠が一生をかけ、場合によっては弟子や子供にも渡って書き続けたことがしのばれる。第一級の『世界文化遺産』に違いない。今後も長く保存されそして多くの方に見てもらいたい。

 莫高窟の正門横には発掘と保存に貢献された方の肖像画が描かれていて、その中には、唯一人の日本人、発掘と保存に尽力されている途中に若くして交通事故で亡くなられ全ての遺産を寄付されたの京都の女子学生の姿があった。

 昼食をとり、陽関へ向かってバスの旅。ガイドが今日の天気だと蜃気楼がきっと見られると予告、期待する。朝からとは逆に西へ向かってはしる。すぐゴビの中。気温が上がってきている。しばらく走ると前方や右手遠くに川や湖が見えて来た。

これが蜃気楼だ。砂漠で迷って水も無くなれば確かにオアシスかと勘違いしても不思議ではない。行けどもいけども水は近づいてこない。そんな中をひた走る。
 まっすぐ進むとチベットのラサ。ラサまで車で5日の距離。そこを右折。さらに走る。
 10年ほど前に日中合作映画『敦煌』の撮影に建てられたオープンセットがあった。もちろん実物大で昔の城塞が作ってある。300m四方くらいで広い。取り壊さず観光名所になっていた。

食事や休憩はどうしていたのか?
 陽関はゴビの小高い丘の頂上にあった。昔の狼煙(のろし)台の一つ。そばに寄ってみる。でかい。これも日干しレンガを積んで作ってある。約10Km先には次の狼煙台があって連絡したそうな。でも、今は崩れて無くなっていて見えない。四方八方を見渡すとゴビばかり。

しかし、西と東で色が違う。西は茶色で鉄分が含まれているらしい。遠くのオアシスはダムを造って開いた開拓村。当時は村もなく見渡す限りのゴビ。夏は灼熱、冬は極寒の地獄。つらい見張りの役目が想像される。

 夕食はホテルのレストラン。おいしい。ビールがうまい。


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