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西川一三 足跡を地図で特定

                       シャンからククシリ峠 Ver.1.0 '19/09/06
                      ククシリ峠からタンラ峠 Ver.1.1 '19/09/11
                      タンラ峠からナクチュー Ver.1.2 '19/10/21
                        ナクチューからラサ Ver.1.3 '19/11/02
             綏遠城(厚和)興亜義塾からトクミン廟まで Ver.2.0 '19/12/28
                    トクミン廟からバロン廟まで Ver.2.1 '20/07/27
                     バロン廟からタール寺まで Ver.2.2 '20/08/19
                      タール寺からシャンまで Ver.2.3 '21/10/17
                           地名など索引 最新日付 '21/10/17
                            All rights reserved  中村 利和

A はじめに

  西川一三著『秘境西域八年の潜行』中公文庫(上・中・下)を久しぶりに読み返してみて、  氏の偉大さに改めて感動しました。   【西川一三 にしかわ かずみ 大正7年1918年山口県生まれ、福岡県立中学修猷館卒業】  西川氏の偉大さについては諸先輩方が色々と書かれており改めて述べることはないのですが、  氏の緻密で正確な地理的記述に私は注目しました。   この著書には地名や戸数、廟名、方角や距離、海抜高度、山や川の位置方向などが克明  に描かれています。  これらの地名などを現在のインターネット地図上で特定してみると、驚くほど一致している  ことが分かり驚嘆いたします。 あるいは、当時から75年前後が経過しており、人工的な  または自然による変化を観察できるのも興味深いことです。   本Webの目的は、この著書で西川氏の足跡をたどり、地名や廟名などをインターネット地図  上の位置を特定し記録することです。  地図上ではこのような表示です。   西川一三氏の足跡を地図上に特定する   地図の操作方法は、    ・左側の地名一覧をクリックするとその場所が大きく映るし、地図上のマークをクリック     するとその地名が表示されます。    ・地図の拡大縮小ができます。    ・地図と航空写真は「左側の地名一覧の一番下」で切り替えます。   地名はチベットの経本の中にチベット語で書きとめ隠して持ち帰ったとのこと(中、P175)。  記録していること自体を知られただけで身に危険がせまる最悪環境でもあり、限られた文字数  しか書けなかったと想像します。帰国してから原稿を書かれたその卓越した記憶力に驚きます。   特定作業を進めていけばいくほど西川氏の記述とインターネット地図とが一致することに驚  くとともに、たまに整合がとれない箇所がありますが、このような条件で記憶に頼りながらの  執筆ですからやむを得ないことと納得します。   青海チベット鉄道や青蔵公路(109国道)ができた今、そのルートが西川氏の行程と驚くほど  一致しています。隊商のリーダーが安全で確実な最短ルートをなぜ知っていたのでしょうか?  遊牧民族が何十代いや何百代前から行程を試行錯誤し経験を積み重ね、それを伝承してきたの  でしょう。 地図や方位磁針を持っていなかったにもかかわらずです。 彼らの視覚など五感  の確かさと記憶力、方向感覚、距離感の確かさ、伝承力に感嘆させられます。   著書は文庫本(上、中、下 3巻)、厚さ7.5cm、全1,860ページの大著です。私が一  番興味を引いた無人地帯の旅から始まる「中巻」から特定作業をしていき「ラサ」に到達した時  点で一旦中巻は終わり、上巻の「綏遠城(厚和)の興亜義塾を出発」するところから特定作業を  続けています。全巻を目標に根気が続く限り続けるつもりです。   2021/10/17追記 全巻目標でしたが、綏遠城(厚和)からシャンを経由してラサまでで  区切りが良いところで特定作業を一応終了とします。  西川氏の偉大さに改めて感動いたします。(今日10/17は私の76歳の誕生日です)

B 特定作業の要点と使用する資料

  ・集落名等の順序は次の著書に現れる順     西川一三著『秘境西域八年の潜行』中公文庫(上・中・下)中央公論社       上 1990年10月10日発行       中 1990年12月20日発行       下 1991年 1月25日発行   ・地名についてはその種類を分かりやすく印で区別     廟廟塾 街や村村落 湖や河河湖 山や峠山や峠 野営地野営 草原草原 荒地荒地 沙漠沙漠 大道大通り   ・地点の判断は、前後の文脈、方向、距離、戸数、文字、発音、地形、高度などから総合的に決定   ・インターネット地図はGoogleマップを使用 https://www.google.co.jp/maps/     以下の説明で、特別の記載がない限り      ・地図、航空写真とはGoogleマップのこと      ・地名の字体にGoogleマップの地名を使用(ただし繁体字に変換している場合あり)   ・地名などの中国語発音はGoogle翻訳を利用    (特に漢字地名については、もとの現地発音(モンゴル語など)を漢字表現している場合があると     思われ、西川氏記述のカタカナ表記と中国語発音とを聞き比べるととても興味深い)   ・位置を特定できた場合、推定した場合、推定さえもできなかった場合を明確化     ただし、大きな街や地域であった場合、その中での位置は定かでなくても「特定」と     表示する場合がある。       ・位置に緯度経度を記載     地図上のマーク位置は数百m~数kmの誤差あり     広域地名や大きな町については、もちろん大きな差異が生じる   ・高度について、西川氏の記述とGoogleでの推定高度を記載(一部Wikipediaから)     参考文献12 CASIO COMPUTER CO., LTD の次のツールを使用している場合もある              地図から目的地の標高や水深を求めるツール        2地点間の距離と方位角を求めるツール   ・世界地図帳 昭文社 1994年1月 第42刷発行 も調査に使用     Googleマップには山脈など地球規模の名称は載っていないので、この地図帳を利用   ・地名などの索引を最後に載せました。

C 特定作業結果

 

C1『秘境西域八年の潜行』中公文庫(上)

 中央公論社 1990年10月10日発行    地図上に、地名などをマーキングしてあるので、ぜひ参照してください。    綏遠城(厚和)からの地図(グーグルマップ)    もし、「八年の潜行(上)シャンからラサ」にチェックが付いていない場合はチェック    をつけてください。   P28 綏遠城(すいえん 日本名;厚和)村落 特定 フフホト市:呼和浩特市     興亜義塾塾学舎 推定 40.82273, 111.657388 標高 1,050m      パインタラ沃野の古都、綏遠城(厚和)に入る。アーチ形の回教寺院の尖塔・・・。      P29 この都の城外にある興亜義塾の第三期生であった。       昭和17年9月末(1942年)綏遠城を後に北京行き列車・・・    補足/感想     パインタラ沃野草原:ここから始まり包頭の南に広がる広大な平野のことであろう。     氏は大正7年(1918年)山口県生まれ(上巻の表そで部分)なので、24歳のこと。     澤井 充生氏の論文(参考文献13 日本の回教工作と清真寺の管理統制のP73)に「興亜義塾が厚和市の旧城西河沿付近に     開設された」と書かれている。     現在の地図には市中心の東に「東河」があり、西に「西河」はないが複数の河を認められ、回民区の近くでもあり、     これらの河の近くであろう。回民とは現在の回族にほぼ相当するとのこと。     なお、この論文には善隣協会や興亜義塾の事業が詳しく書かれており真に興味深い。     P30 平地泉(へいちせん)村落駅舎待合室で1泊 特定 平地泉镇(乌兰察布ウランチャブ市の南の郊外) 40.94039, 113.1308 標高 1,300m      (北京へ帰らされる西川、中野富美雄)ふたりは平地泉で途中下車・・・。      翌朝北京とは逆方向の包頭行に・・・。   P31 包頭(ぱおとう、ほうとう)村落知人宅1泊 特定 包頭市 40.66304, 109.82348 標高 1,050m      黄河河畔の包頭駅・・・。      P32 石拐子村落通過 特定 石拐子 40.67276, 110.26419 標高 1,250m      包頭から北東の石拐子まで石炭列車に揺られ・・・   P32 五当召(ごとうしょう)のラマ廟廟滞在 特定 五当召 40.7914, 110.30789 標高 1,500m      石拐子から北へ山中を20km歩く・・・。松林の峡谷とその間の小高い丘上に・・・ 。    補足/感想      航空写真で見ると確かに二つの峡谷に挟まれたこの上に沢山の建物が見える。今も整備     が行き届いているように見える。   P39~41 包頭から北京      五当召で2か月滞在、包頭へ出頭せよ・・・      北京で後輩のところに身を寄せ・・・    P41 張家口(ちょうかこう) 同人舎塾滞在 推定 張家口 40.75719, 114.91078 標高 800m      街の東北角に崩れ落ちた壁・・・       P42 昭和18(1943)年の正月は張家口で迎えた。    補足/感想      駅の東北方向の山と河(清河)に挟まれた辺りであろう。   P41 張家口 善隣協会塾訪問 特定 40.82557, 114.87496 標高 800m <この項:2020/07追記>    補足/感想      善隣協会や興亜義塾の場所に触れていない       Webを調べると、藤原 晃 博士の談話「西北研究所の思い出」(参考文献14)のP58に      談話の内容当時の張家口の地図が見つかった。当時とは昭和19、20年のこと。      張家口地図           引用図表1  昭和19~20年の張家口 作図 京都大学 地理学研究室 利光 有紀 氏      談話の題名の「西北研究所」とは善隣協会張家口本部調査部の19年にできた後継組織、とのことなので、      氏が訪れた時(昭和17年)もこの場所であろう。      なお、この談話の中に西川氏と木村氏の名前も出ている(P66,67)。   P43 綏遠城(厚和)村落 フフホト市:呼和浩特市      春の訪れとともに・・・ 張家口を出発した翌日、半年振りに綏遠城に入り、トラックに便乗・・・    補足/感想     P44に四月の声を聞くとあるので3月末。    P44 武川村落通過 特定 41.09832, 111.44529 標高 1,600m      陰山を越えると武川という漢人の街に入る。   P45 百霊廟廟野営1泊 特定 百霊廟 41.69889, 110.43401 標高 1,350m    補足/感想     たぶん野営したのであろう。   P46 小高い丘の上野営1泊 この辺りか? 41.57402, 111.15912      同行の若者の知り合いのゲル(包)。    補足/感想      全く手掛かりなし。ゲルや生活の説明が19ページ続く。   P66 サッチン廟廟1泊 特定 四子王旗 41.49837, 111.64439 標高 1,500m      P45 四子部落旗のサッチン廟に向かう。      塾外研究の一年間を五、六十名のラマ達と楽しく過ごした思い出のラマ廟    補足/感想      渡辺智央氏(参考文献6 秘境西域の旅(三))は「サッチン廟を取材にいったA隊に後で聞いたところによると、     土台の跡がかろうじてあるだけ」と書いておられる。     地図に大塔、小塔の地名が残っているのでここと定めた。   P74 シャラムシン 位置 不明   P74 庫倫(クーロン) 現在のウランバートル 中国語の旧名   P75 バロン・ソーゲン廟(スム)廟通過 推定 42.20019, 112.26054 標高 1,300m      P69 ふたり(蒙古の若者と私)は北東に向かって進んでいた・・・      P74 張家口-商都-シャラムシン廟-庫倫を結ぶ庫倫街道の十三台付近にでる。        街道を横切ると宿場のあったと言われる小さなラマ廟・・・ 。    補足/感想      地名は「白音希勒」で”バロンソーゲン”と聞こえなくはない! 航空写真で廟らしい     建物の基礎9棟を確認できる。     サッチン廟から馬で午後早めに着ける距離かどうかは疑問があるが、おそらくここ。     現在の「中蒙国境に通じる庫倫街道」G55二広高速は東方60kmを南北に、河筋と谷筋に沿って       走っているが、昔もここを通っていたとは考えにくい。(ラクダや羊を伴って       の旅に大きな河筋と谷筋に沿うことは危険すぎる)       西北に方向を変えて比較的平坦な曠野を通り、ここ十三台に来てから中蒙国境に       向かったと推理するほうが自然であろう。     商都とは「商都県」。     シャラムシン廟の位置は不明。      氏は「廟」に「スム」とふりがなを付けている。何語かと調べてみたら、     「オロンスムの発見と歴史」(参考文献7)が見つかった。「スム」とはモンゴル語であった。     その文献に書かれている位置(百霊廟の北30km)を航空写真で調べると、まさしく文献とおりの     広大な遺跡を見ることができる。オロン・スム遺跡 特定 41.96068, 110.48511     グーグル翻訳でも「寺」が「сүм sum」に翻訳される。   P75 トクミン廟廟滞在 特定 42.65403, 112.51563 標高 1,150m <この項:2020/07加筆訂正>      バロン・ソーゲン廟から・・・ 北方に薄紫の連山が東西に走って、その山麓に     トクミン廟がぼおーと白く蜃気楼のように浮かんでいた。・・・     到着したときは、・・・ まったく薄墨色の暮色に包まれていた。     P78 蒙古人の医療関係に献身していた善隣協会の杉山氏のところに厄介になった。    補足/感想      地名は「都呼木蘇木」で "トクミン”と聞こえなくはない! 航空写真で廟らしい建物の     遺構であろう基礎を東西600m、南北500m、その数30前後を確認できる。      航空写真で分かることがいくつかある。      ・阿柔 瀚巴図氏の論文(参考文献9)のP4に載っている次の地図を見ていただきたい。        1941年大陸地図            引用図表2 1941年当時の地名       モンゴル人民共和国との通商路に「蘇尼特右旗」という大きな街が載っており、今も       地図に同名の「苏尼特右旗」がある。航空写真で確認できる遺構はその街の南西8km       にある。      ・さらに、「蘇尼特右旗」と「トクミン廟」が至近距離であったことを裏付ける資料として       ハスチムガ氏の論文(参考文献10) のP71に「1943年11月になると、善隣協会は以下の       地域で診療所を設けた」        善隣協会診療所            引用図表3 1943年の善隣協会診療所の所在地       とあり、「トクミン廟」に診療所を設けており、「蘇尼特右旗」とは近い距離であった       が推定できる。       氏も「蒙古人の医療関係に献身していた善隣協会の杉山氏のところに厄介になった」       と書いておられ、診療所開設の準備中か直後に到着したのであろう。      ・バロン・ソーゲン廟からトクミン廟が見えるかどうか? その距離55km。遮る丘は       なさそうなので視力が良ければ見える距離か? これは微妙!      ・サッチン廟(四子部落旗)からトクミン廟まで150km弱ある。馬でも1日(実質半日)で移動が       可能だろうか!      ・第一候補のトクミン廟から40度65kmに「烏蘭干吉爾廟」廟43.15191, 112.98906       がある。東西400m 南北300mほどの結構な規模であり、ここの可能性も捨てがた       いので第二候補とする。         --> と考えた時もあったが、大きな街が近くにないのでトクミン廟とは別の廟。(2020/07)   P81~P84 張家口塾     中沢先生と次木先生に面会し、計画の許可と資金を依頼。     昭和18(1943)年の7月~9月上旬。   P92 吹雪のトクミン廟を出・・・西北へ向かった。     P86 10月23日の夜出発。    補足/感想     トクミン廟に滞在していた期間は半年であろう。   P95 オランハタ(赤い丘)野営野営 推定 42.8291, 111.48076 標高 1,000m      P95 クーロン(庫倫)街道を横切り、・・・さらに雪の点々とする曠野を歩いて・・・        低い岩山の北麓に井戸のあるオランハタ(赤い丘)に到着。      P98 翌早朝、西南に向け出発    補足/感想      容姿、言葉は蒙古ラマだが、屋外での生活の知恵や慣習に未熟であることを氏自身が痛感。      この夕方から同行者は氏を「ロブサン・サンボー」と呼ぶようにする。同行者は      オーズル、イシ、ラッシ、バト少年の全5名。       三川人(甘粛省民和県人)3人、オーズルの義弟になった少年、西川氏。   P100 アバカイン河河湖通過 推定 42.48648, 111.10286 標高 1,050m      この河は南は百霊廟の南まで達する。夏枯れしない蒙古では珍しい河である。      ドロクラも棲息。    補足/感想      ドロクラとは標準和名「タカハヤ」の(氏の出身地での)地方名称。   P102 名もない丘のかげでテント野営野営 推定 42.41914, 110.7678 標高 1,100m   P104 水のない河床でテント野営野営 推定 42.25458, 110.51793 標高 1,100m      四日間の雪上生活で、みんなの顔も雪焼け・・・ モミアン旗に入り・・・。    補足/感想      四日間の雪上生活とのことだが、野営の記録は3夜目。      モミアン旗とは、地図によると「達爾罕茂明安聯合旗」と推測できるので、      ダルハン旗とモミアン旗は連合旗になったのであろう。   P105 さらに西南に向かう   P106 名もない曠野で一夜野営野営 推定 42.1381, 109.90803 標高 1,300m      P107 さらに西南に向かう   P110 遠望地 狼山山脈とモガイト廟河湖通過 推定 41.79589, 109.18084 標高 1,700m   P110 狼山山脈(東部)山や峠 41.21192, 109.28579 標高 1,850m    補足/感想      狼山山脈の東端の山々であろう。   P110 モガイト廟廟 推定 41.67563, 109.02456 標高 1,650m      南方に、東西に走る狼山山脈が姿を現す。      遠く下手にモガイト廟が見えはじめ中公旗に入る。      廟の南側に下ると・・・ 東方から西方に延びている隊商路に出る。      路に沿って西に下ると、大きな沙、小石の水無し河・・・     補足/感想      モガイト廟を見て西に下った記述があるので隊商路には出ていないと推測する。      西に下ると、地図で大きな沙、小石の水無し河を確認できる。地図に河名の記述はない。      こららの情報からモガイト廟の位置を推定。航空写真に廟の跡らしきものあり。   P110 ハイリュート廟廟通過 特定 41.5845, 108.53431 標高 1,300m      小石の水無し河に到達する。河を渡ると迫ってきた狼山山脈の山間に、ハイリュート廟が・・・       路はこの辺りから北西に折れる。         補足/感想      ハイリュートの現在の地名は「海流図」、「鳥拉特中」と推定。      廟は現在は公園になっている様子。   P110 ハシヤートにたどり着く野営野営 推定 41.60088, 108.45014 標高 1,400m    補足/感想      ハシヤートとは地名か、地形名か?         P110 西に向かう   P110 低い峠山や峠通過 推定 41.62432, 108.36327 標高 1,350m   P111 中公旗の王府野営野営 推定 41.61111, 108.18556 標高 1,400m    補足/感想      古い大きな史跡が航空写真に見える。   P112 名もない山間野営野営 推定 41.63443, 108.00139 標高 1,700m    補足/感想      何も目印がない。この辺りか?   P114 窪地に野営野営野営 推定 41.66943, 107.85616 標高 1,600m      山中から水のある小川が西南に流れている    補足/感想      この辺りか?   P114 オランオス 赤い河河湖通過 推定 41.71898, 107.82221 標高 1,600m     山中から北方へ流れる赤い河     三名の蒙古兵に呼び止められ、特務機関の証明書を見せる。   P115 ハノン野営野営 推定 41.77021, 107.49369 標高 1,500m      ハノンを過ぎた灌木の中で野営    補足/感想      「巴音」が付く地名が近くに二つある。東側のこの辺りか?   P116 ウニンオス通過 推定 41.67129, 107.1811 標高 1,500m      (ここまでは西方向へ進んでいたが)ここからは西南方向へ   P119 遠望地 遠く南を走っている狼山の山かげにハラチョロ廟 通過 推定 41.39501, 106.93521 標高 1,700m   P119 ハラチョロ廟廟 推定 41.31995, 106.92419 標高 1,850m    補足/感想      狼山山脈の麓に廟跡らしきものが航空写真で見える。   P119 吹雪と寒気の荒野野営野営 推定 41.34606, 106.80583 標高 1,900m     吹雪でテントも立てられず・・・    P121 北方から西に流れる谷川河湖通過 推定 41.30008, 106.63449 標高 1,900m    補足/感想      北方から西に流れる川は見当たらないが・・・   P125 丘陵間の溝野営野営 推定 41.23496, 106.49558 標高 1,800m   P128 ナランボルク河湖通過 推定 41.18409, 106.43039 標高 1,700m     小溝は泉の水で凍りつき・・・     補足/感想     オアシスのような所のようなので、写真を見るとこの辺り。   P128 チャラン河河湖通過 推定 41.15161, 106.41928 標高 1,750m     雪一面のチャランゴールの大河が、夏の夜の銀河のように南北に広い白線・・・     補足/感想     この辺りに、南東から北西に流れる河の跡はある。歳月で河の流れが変わったのであろう。   P131 善丹廟からは指呼の間野営野営 推定 41.16297, 106.32324 標高 1,700m     小山の起伏している山岳地帯をを出て、砂漠地帯にかかろうとする丘の間。     善丹廟からは指呼の間。   P131 善丹廟廟接近 特定 41.15401, 106.32665 標高 1,700m    補足/感想     地図に「善達廟」を見つけられるが「善丹廟」は見つけられない。     先ほどの 引用図表2 1941年当時の地名 を見ると「善丹廟」と「善達廟」の位置は同じで     あると判断できるし、西川氏が著書の中で「ふたつの巡礼路が交わる路」と書かれており、     羊毛を運んだ隊商も通る路であったのであろう。     ただし、三つ気になることがある。     a 上記の地図に載るような大きな集落なら航空写真にも街の痕跡があるはずだが見つからない。       沙漠の拡大や移動で沙に埋もれてしまったか?     b 「善達廟」でwebを検索すると「毎日頭條 掲載の写真(参考文献11)」が見つかる。       その写真の本殿の形が左右対称であるが、航空写真では左右対称ではないように見える。       本殿の左右に長方形の大きな建物が写っているが航空写真で見つけられない。     c 本殿のバックに稜線が写っているが、地図や航空写真でその稜線に該当する高さの山波を見つける       ことができない。     狐につままれたようだ!      P131 遠望地 ボルハンオール山や峠     西北方にいちだん高く白衣のボルハンオール主峰が聳え、山腹に善丹廟のラマ塔が・・・     沙漠の彼方に浮かぶボルハンオールの山麓にグルオボがある、     善丹廟から南に下ると狼山山脈の西端ハラガネイアム    補足/感想     「ボルハンオール」が初めて出てきた。「ボルハンオール」と「狼山山脈」は使い分けられおり別物。     山腹に善達廟がある山とのことだが、「主峰が聳え」というほどの高い山を地図でも航空写真でも     見つけられない。参考文献12の「地図から目的地の標高や水深を求める」を使って標高を調べても、     付近の最高点(無線タワーがある位置)と廟の高低差は約20mしかない。     このように、ボルハンオール山脈の特定には至らないが、善丹廟の北から狼山山脈南端の西側に     かけて連なる低めの山々と推定できる。   P132からP160の行程が不明     その間の要約     「(P132)善丹廟から指呼の間の野営地から急いで後退して昼間半日隠れたあと、(P144)北斗七星      を頼りに真西へ向かって進んだ。歩哨線を越えてさらに西へ進み、ドンド公路に出てさらに西に      夜明け前まで進んだ。      (P147)簡単な夕食を終へ路に戻り西に向いグルオボを東南に見送ったころから、しだいにボルハン      の山々が迫ってきて、行く手の山中から、山麓に沿って南に流れている大きな水無し河に到着する。      路はふたつに分かれ、一つは対岸を渡って河に沿って南に下りグルホボに至り、      もうひとつは西北に向かいボルハンを越えてアラシャン旗に入る新しい間道で、私たちは間道を選んだ。」    補足/感想     善丹廟から指呼の間の野営地から急いで後退してからの足跡を地図で追えない。      ・西へ西へと進んでいるが、それでは狼山山脈から遠ざかる方向である。       北斗七星を目印に進んでいる様子なので東西南北を見失うことも考えにくい。      ・P131に「沙漠の彼方に浮かぶボルハンオールの山麓にグルオボがある」、「グルオボ」は「磴口」に       通じていると記されているので山脈を横断する路の入り口と解釈できる。       航空写真で探すと、善達寺の南南西に街の痕跡村落推定 41.03228, 106.40428        があるが、これがグルオボとすると、西へ西へ進んでは見当違いであろう。      ・航空写真で見ると、この辺り、いや内蒙古全体がそうだが、丘や山々がまるで島々が大洋に       囲まれ浮かんでいるように見える。黄砂で沙漠地帯が拡大移動しているのであろうか?        80年ほどを経過し、戦略上重要であったこれらの廟や前線基地や集落の痕跡を航空写真で       さがすことが難しい。   P160 峠から雄大な景色山や峠通過 推定 40.56516, 106.01303 標高 1,600m     足元からボルハン山に連なってノイン山、パイン山の連山が一望千里・・・      ホーラン山脈の峻嶺が薄紫色の姿を浮かべている。ホーラン山脈のニタクの嶺・・・4~5日は     行かなきゃあ。    補足/感想      この峠の特定が難しいが、ジャルタイ沙漠を一望できることと、善丹廟方面からの近さ、      およびボルハン山の南の端のような記述、ノイン山、パイン山と思われる山の位置関係から      この辺りと推定した。      この峠からホーラン山脈のニタクの嶺(目指している定営廟の山脈の最高峰)が遠望できるとのこと。      参考文献12で距離計算すると約190km。      この距離は「枚方市から四国剣山」「水戸市から富士山」、見えるんだ! 空気が澄んでいる!      4~5日とは一日45km前後! 速い!   P160 ノイン山(推定)山や峠遠望 40.26911, 105.66251 標高 1,850m   P160 パイン山(推定)山や峠遠望 39.47105, 105.06903 標高 1,400m   P161 ホーラン山脈山や峠遠望 特定 38.99045, 106.06651 標高 2~3,000m級   P161 ニタクの嶺:ホーラン山山や峠遠望 特定 38.80879, 105.93086 標高 3,500m      P230 青畳を敷きつめたような豊草の波打つ台地・・・ 付近には馬の群れが遊び・・・     補足/感想      航空写真で最高地点を見ると確かに平べったい台地である。   P162 ボルガスタイ廟廟遠望通過 推定 40.45934, 106.07983 標高 1,250m   P162 ノイン山の山中野営野営 推定 40.28224, 105.73111 標高 1,300m    補足/感想      ノイン山は1800m級の山塊   P162 オランホショー(赤い鼻)監視所野営通過 特定 40.23658, 105.63318 標高 1,400m    補足/感想      今も、赤土の東端に監視所らしき建物が8棟ほど見ることができる。   P164 ハラモリト(黒馬)の井戸野営野営 推定 40.15554, 105.56131 標高 1,300m   P164 ジャルタイ沙漠沙漠 特定 39.7751, 105.74968 標高 1,000m    補足/感想      東西南北100km四方もあろうかという広大な砂漠の中に、今も塩湖が多数点在しており塩の採取が行われている。      渡辺智央氏による現地調査(参考文献6 秘境西域の旅(六))にも、「ジャルタイに大きな塩湖があり、      宿舎に滞在した」とある。   P165 チャハルオス大低地の井戸端野営野営 推定 39.75197, 105.66146 標高 1,000m    補足/感想      清水の井戸とのことなので、最低地ではなく、少し山よりではなかろうか。   P165 小山の上山や峠通過 推定 39.23627, 105.86572 標高 1,350m   P166 山峡から南に流れている水無し河野営野営 推定 39.02144, 105.89148 標高 1,800m    補足/感想     この辺りの河はどれも西北に流れている!   P166 定遠英(現在の阿拉善左旗)村落 特定 38.84784, 105.65953 標高 1,500m    補足/感想      航空写真を見ると街の西北端に立派な塔とお堂そして「延福寺」という名のお寺もある。   P170 台地の上の窪地野営野営 推定 38.66853, 105.77549 標高 1,800m   P171 バロン廟廟特定 滞在 38.66324, 105.80301 標高 2,000m    補足/感想      P166 「定遠城の南方を遠く迂回して山中のバロン廟に向かう」とあるので、バロン廟は現在の「南寺」だと      特定でき、航空写真で、定遠英の北東の山中に確認できる「北寺」ではない。      渡辺智央氏による現地調査(参考文献6 秘境西域の旅(六))によると、      バロン廟は廃墟になっているが、十年程前から、数名の老僧達によって修復が始められているとのこと。      その僧の一人が西川氏らしき人物を覚えていた、とのこと。            覚えておられる僧がおられたとは誠に驚きである。渡辺氏が訪れた年は昭和63年なので44~45年前の記憶。           航空写真では大塔も復元され大きな駐車場もある観光地になっている。        なお、「北寺」については西川氏も渡辺氏も触れていない。            西川氏がバロン廟に到着したのは昭和18(1943)年の12月下旬(P177)、出発したのは翌4月下旬(P217)。      この滞在期間中に、楽しい正月を過ごしたが、小孩バトをオランチチク(赤い花:天然痘の俗称)で亡くしている。      同行者とタール寺での再開を約束して、ここで分かれた。         P263 9月中旬、ソーダを運ぶラクダ引きになってバロン廟を出発      目的地はタール寺。 自動車道路に沿って、その後ラクダ路を西南へ向かう。   P265 シャラフドー村落同行者の親宅で一泊  特定 沙拉庫岱 38.5181, 105.59786 標高 1,300m    補足/感想      地図上に「沙拉庫岱」を見つけた。   P267 沙漠の真只中野営野営2泊 推定 38.24283, 105.3809   P271 バインボルク野営野営 特定 巴彦呼都格 38.07312, 105.15693 標高 1,350m      「豊富な泉」の意味    補足/感想      先ほどのシャラフドーもそうだが、バインボルクも現代の地図に載っている部落名が中国語発音(Google翻訳)と      似ていることに驚く。   P274~277 テングリエリス:天の沙漠沙漠 通過 特定 37.68883, 104.63269 標高 1,400~1,500m     茶碗を伏せたような大小の砂の山がなんの秩序もなくつらなり・・・     補足/感想      航空写真でも無数の風紋が果てしなく続いていることを確認できる。当時もこうであったのだろう。      この広さを半日で歩いて越えた?   P278 ショルゴルゲンホトク:蟻の泉河湖 通過 推定 37.62131, 104.56538 標高 1,500m    補足/感想      蟻をモンゴル語では шоргоолж 英字表記は shorgoolj。 ショルゴルとは確かにモンゴル語で蟻の意味!      しかし、ゲンホトク または ホトクが不明! この辺りの地図では「呼都格」がつく地名があちこちにあるが意味不明。         P278 チョーホルトロガイ監視所:斑の頭の監視所監視所通過 特定 扎哈道蘭 37.56059, 104.47359 標高 1,600m      右手の丘陵の麓にアラシャン旗のチョーホルトロガイ(斑の頭)監視所・・・ 甘粛省に入った。定遠営を出発して六日目。    補足/感想      扎哈道蘭の中国語発音がチョーホルトロガイととても似ている。位置関係もからめて特定した。      「斑の頭」をモンゴル語に翻訳すると「Толботой толгой」で発声は不明だが、      英字表記は「Tolbotoi tolgoi」。「チョーホルトロガイ」と聞こえるのかもしれない。             定遠営を出発してから泊った夜の記録は4泊。バインボルクからショルゴルゲンホトクまでの距離は短く見ても70kmはあり、      ここを野営しないで越えたのであろうか?         P282 灌木ドンチン(冬青)の密生している大地野営野営 推定 37.54875, 104.44475 標高 1,600m   P284 オランダバー(赤い峠)山や峠通過 推定 37.49113, 104.38144 標高 1,750m    補足/感想      赤い はモンゴル語で「улаан」、英字表記は「ulaan」。「オラン」と聞こえるのかもしれない。   P285 谷間野営野営 推定 37.46453, 104.35864 標高 1,700m   P286 長城の跡城壁通過 推定 37.39899, 104.2128 標高 1,650m      崩れ残った土塀が西北に走っていた。    補足/感想      航空写真で、沙漠や畑を貫いて東西方向に痕跡らしきものが写っている。ここから西に延びている長城跡を      たどると大靖の長城(37.48947, 103.43463)に届き、はっきりと確認できる。   P286 裴家営村落通過 推定 37.36632, 104.09965 標高 1,600m      間もなく「裴家営」に入る。      西の城門を出ると万里の長城が眼前に・・・     補足/感想      長城跡の南方16kmに「長城村」があるが、氏が書いている「間もなく裴家営」という表現からは遠すぎるので、違うように思う。      さらに航空写真を探すと長城跡から南西4.5kmに四角の土塀に囲まれた城塞だったらしき跡がある。西の城門や長城跡らしきものも見える      ので、ここではないかと推定した。 今は建物も畑もない。       想像だがこの城塞に住んでいた人々が「長城村」に集団移住したのだろうか。            「西の城門を出ると、長城が眼前に現れ、西北に長々とのびていた。」と書かれており、航空写真でもそれらしき跡が薄く      あり(37.37053, 104.09416)、南東方向は15km地点の陳梁村のそれらしき跡(37.24597, 104.1644)まで、そしてさらに      延びているように見える。            長城がほぼ直角に2本存在することが不思議であるが、参考文献15 コトバンク 「万里の長城築城の変遷」の地図を見ると      統一秦代の長城がこの辺りにあったことが分かり安心できた。            なお、この近くには「裴家営」の地名集落名はないが、チョーホルトロガイ監視所から84kmほど西の武威市の手前「大靖」      の近くには長城跡が東西にあり、その長城跡を南に1km行くと「裴家営」がある。      しかし、その「裴家営」はバロン廟や定遠英からタール寺を目指すにはテングリ沙漠を横切る距離が長いし、遠回りだし、      そこから越える山も高いし、氏が書いている「裴家営」ではないと思う。   P286 長城下の畑の中野営野営 推定 37.36207, 104.1005 標高 1,600m   P288 大靖と松山城を結ぶ大道大通り横断 推定 37.13337, 103.99248 標高 1,600m      南方松山城から北方大靖に通ずる大道に出・・・ 大道を横切り・・・     補足/感想       大靖:37.48525, 103.42702       松山城:37.11304, 103.49211      松山城と大靖を結ぶ最短は現在は142国道と141国道および一般道を経由すれば往来できるが、文中に書かれているように      横切るのではなくて、その道をそのまま進むのが妥当であり、「大道を横切り」とは合わない。      大道を横断した私の推定場所は、両地から相当に離れた東方であるが、松山城と大靖を結ぶことには変わりなく、      大道を横断するという表現に合致している。   P288 トガン廟廟通過 推定 兔窩 36.96303, 103.57989 標高 2,500m    補足/感想      「兔窩」を中国読みではトガンと読めないが、日本読みすれば読めるし、村内に廟の跡らしき地面が見える。   P289 西に流れる小川の辺り野営野営 推定 36.96715, 103.36949 標高 2,600m    補足/感想      ここまで一泊もしていないのは気になる。   P289 南に下る 通過 推定 36.9608, 103.35086 標高 2,550m      西に流れている小川を離れて南に下る。    補足/感想      水沟村:水溝村(36.950444, 103.348206)から南下し、骗马坪?:騙馬坪(36.91148, 103.34082)も      南下し、地名 分水岭:分水嶺(36.8852, 103.33569) に出て河に沿って下って、荘浪河(庄浪河)岸の      五渠村(36.74381, 103.2441)辺りに出たのではなかろうか。      この間道を使った方が監視や税金の面で有利だったのかもしれない。      もし、川から離れず下れば清水河村(36.828249, 103.206299)へ出る広い路がある。しかし、      安全面で不利であろうし、テングリ峠への行程も遠回りになる。   P290 荘浪河(庄浪河) 特定 36.74571, 103.2421 標高 2,100m   P290 絹の道 赤色ルートの大道大通り 特定 36.74517, 103.24033 標高 2,100m      ときは昭和十九年十月五日。   P291 フチャンの手前 通過 特定 36.75258, 103.22856 標高 2,300m      フチャン(伏恙)の手前から西南に向かう間道に入り    補足/感想      フチャン(伏恙)とはここから北5kmの「何家营村:何家営村(36.791956, 103.197665)」であろう。      中国語発声で フチャ と聞こえる      平藩城:ここだろうか?(36.658911, 103.28391)      涼州 :甘粛省武威市            フチャンは何家台(36.909857, 103.160712)にも、富強村(36.928939, 103.143889)にもある。      しかし、それらからキレン山脈に入ると山が険しすぎるし、遠回りにもなるので違うと思う。   P291 鳳凰山脈東麓野営野営 推定 36.75074, 103.21594 標高 2,200m       自動車の音とヘッドライトの光        鳳凰山脈東麓から P293 連城鎮 までの経路は推定しがたい。   P291 ジョンロン廟が特定できればよいのだが難しい。もしかして変わった形の建物群(36.702724, 103.164675)が   そうかもしれないが根拠が薄い。(地名は捷岭村)   氏が「(鳳凰山脈東麓を出発し)翌朝さらに西南に向かい」書かれていること。および、写真や地形図を見ると、   連城鎮の東側のどの谷や尾根も険しく長いので、どの筋を下ってきたのかも難しい。   このように推測が困難であるが、現在の 214県道[36.741307, 103.180704 ~ 36.521531, 102.897871 に沿って   旅したのであろう。   P291 吹きさらしの丘陵の中腹野営野営 推定 36.69039, 103.14406 標高 2,550m     補足/感想      連城鎮までここでしか泊っていないことが気がかり。         P293 連城鎮村落通過 36.58786, 102.8408 標高 1,900m         P294 大通河を渡河河湖通過 36.5998, 102.82602 標高 1,900m         P294 大通河の河岸野営野営 推定 36.69039, 103.14406 標高 1,900m    P295 テングリ峠山や峠通過 特定 36.63344, 102.6295 標高 3,200m      峠の頂上に達して天を叩くとコツコツと音がするそうだと言われていて、蒙古人から「天の峠」と命名。      内蒙からタール寺への巡礼途上では最高の3,050mである。    補足/感想      渡辺智央氏の参考資料6         秘境西域の旅(九)青海――信仰の灯         秘境西域の旅(十)青海――テングリ峠から青海湖へ      のテングリ峠についての要約は、        高廟子から車で山間に入り、テングリ峠の場所を土地の人々に尋ねながら、途中からは徒歩で登り、        峠への中腹に「シャンカル寺」という古寺があり老僧が守っていて、昔はよく蒙古からの巡礼が        行き来していたとのこと。翌朝、村人の道案内で二時間程でテングリ峠に着いた。        松の大樹が四十四年前と変らぬ繁りを見せていて、頂上には石を積み上げた「オボ」と呼ばれる        道標が立っていた。      これを、航空写真と地形図で調べると、      開けた場所の村落から北へ一山越えた山間に「鳥營寺 36.60502, 102.63793」という地名か寺院名を      見つけることができ、そこから北方直線で3.3km地点に標高が一番高い場所があり(3,200m)、      道端や周辺には「オボ」らしきものが航空写真に沢山写っている。      氏は標高を3,050mと書いておられ正確さにも驚きます。150mしか違わない。      一方、氏が前夜テントを張った大通河の河岸の谷筋を西へ17kmほど登り、南への谷筋へ左に折れる路があり      「オボ」があるその地点に出られる。      これらのことから、「オボ」らしきものが沢山写っている地点をテングリ峠と判断した。      なお、渡辺智央氏が訪れた年は、西川氏が通った年(1944年)の44年後だと同じ文献にかかれているので、         1988年昭和63年。   P295 山麓の畑の中野営野営 推定 36.57086, 102.62743 標高 2,900m       十軒余の農家が点在 各農家の西北部に防風林の楊柳    補足/感想      推定した辺りの農家には防風林がある。この辺りから下れば、山越えもなく穏やかに      「田浦家村 36.439557, 102.602216」へ出られたであろう。      この地(山麓の畑の中)が鳥營寺だと面白いが十軒余の農家は多すぎるので違うだろう。         P296 高廟子村落野営 特定 36.44322, 102.54156 標高 2,000m    P298 楽都監視所監視所 検問 特定 36.4826, 102.40367 標高 2,000m   P300 畑の中野営野営 推定 36.491, 102.2813 標高 2,050m   P301 平安郷:平安鎮村落通過 特定 36.50192, 102.11226 標高 2,100m    P301 白馬寺廟通過 特定 36.51724, 102.09796 標高 2,100m   P302 高塞堡村落野営野営 特定 高塞鎮 36.54126, 101.99655 標高 2,150m   P302 西寧河河湖渡河 特定 湟水河 36.55803, 101.92641 標高 2,150m      P303 西寧城村落宿3泊 特定 36.61694, 101.78519 標高 2,250m     定遠営を出発して17日目に到着      P308 オランダバー山や峠通過 特定 36.49157, 101.57877 標高 2,650m      P308 タール寺(塔爾寺)廟 特定 36.49003, 101.56731 標高 2,650m      アラシャン旗西郡王の息子で留学中のラマの僧舎に、寧夏から20日間の旅装を解いた。    補足/感想          氏がタール寺に到着したのは昭和19(1944)年の10月上旬。滞在期間中に正月を迎えた。   P444 リュースル(魯沙爾)村落通過 特定 36.49806, 101.56509 標高 2,644m      タール寺(塔爾寺)からシャン(尚格)に向け、チベット人二人(ソナム、ドンルブ)と出発したのが昭和20(1945)年の2月初旬。     リュースルの街で二人のチベット人が加わり、一行5名は40頭のラクダを連ね、街はずれから北にそれ、     赤土の小山を登っていった。   P444 タンサール(斑沙爾)村落野営野営 特定 36.51548, 101.54419 標高 2,677m      その日はタンサールの部落下で野営。チベット人たちとの初めての食事でチベット流ザンバーの食べ方にとまどう。   P451 二十数戸の部落村落通過 推定 36.66457, 101.44657 標高 2,435m      西寧とユシュ(玉樹)間の自動車道路に出た。自動車道路に沿って西に向かえば西寧河(現 湟水河)に渡された橋     にかかる。橋を渡って山の迫っている北岸を行くと間もなく二十数戸の部落に入る。西寧とドングル(湟源)の中間。    補足/感想          西寧とユシュ(玉樹)間の当時の自動車道路が西寧のこんなに西(20数km)を経由していたか疑問で、     湟源と西寧間の自動車道路ではなかろうか?      二十数戸の部落の詳しい位置や名前が書かれていないので特定ができないが、この辺り。   P453 ドングル(湟源:ハングワン)村落野営野営 特定 36.68603, 101.27421 標高 2,628m      さらに西に向かうと対岸の山も低くなって視界が開け間もなく到着した。街の前は大広場ちなり、     西寧河はその南方を流れ・・・ 七八千人を有する西寧以西では最大の街。   P456 日月山の連山山や峠遠望 特定 36.562, 100.99644 最高峰標高 4,592m      西寧河を渡り、自動車路に沿って南西に向かう。長いこと進んでいると、行く手に日月山の連山が姿を現す。    補足/感想          日月山は長い山脈なので、氏が見たのは最高峰とは限らないであろう。        P456 谷間に野営野営野営 推定 36.48334, 101.12637 標高 3,229m      南に向かう自動車路を捨てて西に折れ谷間に入って行く。草が非常に良い。草が良いところは野営の第一条件。   P458 視界がひらけて台地の上山や峠通過 推定 36.50802, 100.88265 標高 3,332m      左に日月山を見上げながら、さらに西へ向けて登っていった。昇りつめると・・・急に視界がひらけて台地     の上に出る。眼下に遠く・・・「ククノール(青海湖)だよ」。    補足/感想          グーグル地図で調べると、推定した台地から青海湖まで約15kmある。15km先は「眼下に遠く」と言うには遠すぎると思うが、     台地の元から湖まで平坦で小さな湖や沼地と思われる土地が続いているので、当時の湖水が今より広がっていたと考えられる。   P458 ククノール(青海湖)河湖通過 特定 37.01626, 100.19391 標高 3,194m(現在)      海のような雄大な暗青色の湖・・・     補足/感想          ククノールは蒙古語での名称。中国大陸最大(グーグル写真ではおよそ長径110km、短径66km)の湖で薄い塩水。     アメリカのグレートソルト湖に次ぐ大きさ。   P460 台地の上に野営草原野営野営 推定 36.54964, 100.63775 標高 3,210m      路は湖畔に沿って西へ西へ・・・ さらに西に進んで台地の上に野営・・・。     砂礫の岸に立ち・・・すくった水を口に持って:いった。「少し塩からい」   P465 サザエの形の島を遠望草原通過 推定 36.60478, 100.43829 標高 3,225m      どこまでも冬枯れの草地が続く湖畔を西に・・・ 昼前、遥か西方の湖上に、小さなサザエの形をした島が浮かんできた。   P465 サザエの形の島(海心山)山や峠 特定 36.86149, 100.13685 標高 3,262m   P465 湖畔にテント草原野営野営 推定 36.62507, 100.17758 標高 3,208m      終日西に向かって進み・・・ 湖畔にテントを張る。   P471 南岸の最西端草原野営野営 特定 36.70799, 99.81104 標高 3,211m      南岸の最西端の土地にテント・・・。南の山はますます迫ってきた。   P471 ジャガスタイダバー(魚の峠)山や峠通過 推定 36.75353, 99.60681 標高 3,820m      道は南に折れ、・・・湖に注ぐ谷川をのぼっていく。日月山山脈を横断する峠。    補足/感想          氏が通った峠の正確な位置は分からないが、グーグル写真で確認できる国道が全般に標高が一番低いので、     国道に沿ったルートと推定し、一番標高が高い場所を峠と推定した。   P472 湖畔にテント草原野営野営 推定 36.62017, 99.31093 標高 3,100m      下り進んで地表は、至るところ起伏した無数の相似た円錐形の小丘となり、・・・ 湖畔にテントを張る。・・・     ラクダには最適地のため、十分栄養を与えることにした。    補足/感想          グーグル写真で「無数の相似た円錐形の小丘」らしき地形がこの辺りで確認でき、すぐ後にのべるように湖面は     推定した野営地の近くまで拡がっていたと推測する。       P472 ダブスノール(塩湖)河湖野営近望 特定 36.70971, 99.07242 標高現在 3,061m      ダブスノール(塩湖)を抱えたダブスンゴビ・・・が眼前に展開・・・       湖の西北には関税所もあり・・・     補足/感想          グーグル写真には湖の西北に製塩所と思われる設備や建造物を見ることができる。         P473 湖畔の漢人部落草原野営野営 特定 36.78471, 99.07367 標高 3,088m      終日、塩湖畔を巡り進んで・・・ 二十数戸のシナ家屋の建ち並んでいる部落に入りテントを張る。    補足/感想          写真で見ると、湖の西北に鎮や村が付いている整備させた小さな街があり、今も昔も製塩所に詰める人々や役人の街であろう。     この町から湖畔の工場まで4~5kmある。当時は自動車を通勤に使えなかったと思われ、当時は水面が今より高く、近くまで     塩水が来ており岩塩も取れたのではなかろうか? ちなみに現在より水面が19m高い標高3,080mとすると街から1.3kmほどとなり、     十分徒歩で往復できる。     水面高が3,080mとし、周りの地形の標高を簡易的に測定すると湖面の長径41km(現在15km)となる!     塩水湖の東端近くでの野営のあと「終日塩湖畔を巡り進んで」という表現が理解できる。   P474 山峡の少し開けた平原山や峠>野営野営 推定 36.71339, 98.81414 標高 3,390m      (匪賊の襲撃を恐れながら)山峡の半ばに達する少し開けた平原に出てテントを張った。周囲の山は見上げるほど高く・・・     補足/感想          写真で見ると国道と高速道のルートを探っても「周囲の山は見上げるほど高く」と思われる場所がない。国道と高速道の工事で     谷を埋めたのであろうか?    P475 ゴウゲンクトウル峠山や峠通過 推定 36.668, 98.77486 標高 3,681m      三名のハサクが羊の肉を焼きながら食べているのを遠くに見ながら、忍び足で通り過ぎる。    補足/感想          この辺りが標高が一番高いので峠とした。   P476 ツァイダム盆地の入り口草原通過 特定 36.43367, 98.16272 標高 3,162m      谷川の北岸を走っていた岩山の連山は次第に低くなった消え去り・・・ ツァイダム盆地の曠野が広がっていた。    補足/感想          前夜の野営地からここまで80km。一日の行程としては最長であろう。ハサクの襲撃から逃れる強行軍であったろう。   P477 チャガンオス(察汗鸟苏)草原野営野営 特定 36.29539, 98.1365 標高 3,212m      チャガンオスの監視所の建物。      ここに一泊し、タール寺を出発して十二日目の朝を迎える。今日一日でシャンへの旅が終わるのだと思うと、足どりも軽い。      タール寺を出発して十二日目の朝を迎える。今日でシャンへの旅が終わるのかと思うと足どりも軽い。    補足/感想          チャガンオスの漢字が書かれていないので判断に困るが、グーグル写真にこの辺りの大きな街で「察汗鸟苏鎮」があり     発音が「チャガンオス」と聞こえ、シャンへ一日とのことで、ここ。     氏がシャンに入ったのが昭和20(1945)年の2月中旬。   P477 シャン(尚格)村落のチベット人宅に滞在 特定 香日徳鎮 上柴開村 35.98925, 97.85842 標高 3,050m      ツァイダム盆地に流れ込むヨゴラインゴールの大河・・・      川幅三百余メートルもある川・・・ の対岸の土手の上には七、八十戸・・・    補足/感想      発音が、尚も香も私には同じように シャン に聞こえる (-_-;)     当時、シャンの中央と東端にあった「大きな衛門」の跡を航空写真で確認できることは     誠に興味深い。現在、香日徳班禅寺と呼ばれている場所や川辺の長四角な空き地がそう     ではないかと思います。 補足2021/10/17「香日徳班禅寺」が航空写真で見えなくなっている。グーグル写真も更新が     行われているのだ。2019/09時点の写真を保存しておくべきであった。   P477 ヨゴラインゴールの大河河湖 特定 香日徳河      補足/感想      Googleマップには「香日徳河」、世界地図帳には「柴達木河」と記載されている。   P477 ツァイダム盆地草原    補足/感想      有名な盆地。漢字では 柴達木盆地。世界地図帳には記載。Googleマップには無記載。  

C2『秘境西域八年の潜行』中公文庫(中巻)

   地図上に、地名などをマーキングしてあるので、ぜひ参照してください。    シャンからラサまでの地図    「八年の潜行(中)シャンからラサ」にチェックが付いていない場合はチェックを    つけてください。   P15 デブスイン峠草原野営6泊 特定 36.00006, 97.59728  標高 3,200m      昭和20(1945)年の7月13日大安、シャンをラサに向けて出発。     敷物を敷いたように平坦な峠の意・・・ 南北に広々と高原大地をなし・・・    補足/感想      現在の地図にも道路が描かれている。   デブスイン峠から禿山の南の渓谷東入り口までの経路が特定できないのは残念。   P28 チャガン河の河畔河湖野営1泊 特定 35.95513, 97.06255  標高 3,700m      北方を走っていた小高い黄土の禿山が南方に折れて・・・草のよい狭い山峡に入って・・・      南方から北方ツァイダム盆地に注ぐチャガン河・・・    補足/感想      地図に、北方を走る禿山 35.97333, 97.12371 があり、大きな川はチャガン河と思われ、      上流にはナムラ峠と思われる谷がある。相互関係に矛盾がない。   P31 ナムラ峠山や峠通過 高度 4,500m 特定 35.79233, 97.11478 標高 4,750m      P31 翌朝チャガン河を西南に向けさかのぼる・・・(ナムラ峠に向かう)    補足/感想      近辺でアラガイノールへ通じる谷はここが一番ゆるやかで近くて低い。              P33 峠下のなだらかな山間野営1泊 特定 35.75062, 97.13066 標高 4,700m      峠を少し下ると、なだらかに起伏している山間に入りテントが張られた。異臭・・・   P34 アラガイノール(阿藍湖)河湖の西岸野営数泊 特定 阿拉克湖 35.58627, 97.15461 標高 4,150m      P35 ヨゴライン河は、源をこの湖に発し・・・    補足/感想      西川氏によると湖の回りは葦が密生し草もよい。航空写真では季節は不明だが荒涼としている。      ヨゴライン河の下流にあるシャンからアラガイノールまで、山脈を越えて延長200kmある。   P40 曠野野営1泊 推定 35.51938, 96.48651 標高 4,350m      ボルハンブダ山脈は東北方に遠ざかり・・・   P40 山稜山や峠通過 推定 35.67971, 95.92169 標高 4,150m      山稜を超すと広々とした渓谷が開けシュキンゴールがみみずのようにはっていた。   P40 砂金で有名なシュキンゴール河河湖通過 推定 35.71355, 95.91954 標高 4,100m      鉄の錆びたような岩の多い川床    補足/感想      航空写真でもこの辺りから土地の色が赤茶色い、鉄鉱石?   P41 草の良い河畔草原野営数泊 特定 35.71056, 95.90148 標高 4,100m      周囲の不毛の山々に比べて豊草で敷き詰められている。卵の腐ったような悪臭・・・    補足/感想      写真では草木のない荒野だが、当時は草原!   P43 湿地帯河湖通過 特定 35.72735, 95.79548 標高 4,050m      進むにつれて草原は湿地帯となり・・・      水底は鉄さびのように褐色で水は淡黄色に濁り、水面には油が浮いたように・・・    補足/感想      航空写真を見ても、どす黒くて濃緑色の水が拡がっている。   P44 丘陵草原野営3泊 推定 35.70565, 95.70639 標高 4,150m      南方に起伏している丘陵上に出ると・・・豊草が待っていた。   P49 シュキンゴール河湖通過 特定 35.74226, 95.33891 標高 3,950m      シュキンゴール南岸の山麓に沿って西へ向かった・・・山麓に野営   P50 山麓に野営>野営1泊 推定 35.72261, 95.11407 標高 4,300m   P50 大道大通りの少し西 特定 35.73571, 94.68431 標高 3,800m      北に折れて山峡に入り・・・ サルタンの大道に出ることができた。大道を少し西に下ると、・・・       白雪を頂いているクンルン(崑崙)の峰山や峠が・・・      P50 クンルン(崑崙)の峰山や峠遠望 特定 35.7845, 94.60471 標高 5,200m      P51 チュンジュンリブ草原野営1泊 特定 35.71199, 94.3237 標高 4,250m      西に向かってまもなく、左手・・・ 厳山の麓    補足/感想      写真をよく見ると、青海チベット鉄道や109国道とここで出会っている。数km     ほどしか違わない。西川氏の行程と、ここから、ず~と殆ど一緒!!!   P51 チュモチェザン野営1泊 特定 35.65514, 94.06681 標高 4,750m      西南に下る。下るにしたがって山は開け、      巌山山麓からは北方の山中に谷川が流れ込んでいた。     P52 カンブノオボ山や峠通過 特定 コンロン峠「昆仑山口」 35.64661, 94.06369 標高 4,767m    補足/感想      オボは峠などに作られる祭壇。カンブノオボとはこの峠の地名だけでなく付近一帯の地名でも      あるようだ。P53,P21。   この辺りから、玉珠峰山や峠 クンルン崑崙山脈の主峰 6,178m が見えたかも。     航空写真に氷河の尻尾が写っています。35.654, 94.24754   P52 再び草原草原野営1泊 推定 35.49894, 93.89128 標高 4,550m      沙の小山を出て、再び坦々とした草原が開け・・・   P54 メンダーレモ野営1泊 推定 35.53562, 93.76151 標高 4,600m      谷川のほとりに到着・・・一帯は「メンダーレモ」・・・      ・・・南に流れて揚子江の源流「チュヌル河」に注ぎ込む    補足/感想      チュヌル河はチュマル河のことであろう。      揚子江=長江(ちょうこう)の源流の一つであるとは、当時、誰もが知っていること?      あるいは著者(西川氏)だけ?   P56 チュマル平野荒地野営1泊 推定 35.3625, 93.60444 標高 4,500m      黄色の無味乾燥のチュマル平野が地平線の彼方まで広がって・・・死せる大地      P56 チュマル河河湖 特定 楚玛尔河(楚瑪爾河)35.31772, 93.52948 標高 4,500m      さらに南下してチュマル河に到着・・・ 「チュ」は水、「マル《は赤、即ち「赤い河」     揚子江の一源流・・・     補足/感想      確かに航空写真でも水が赤い。渡河地点は推定。   P57 ククシリ草原野営4泊 海抜 4,000m 推定 35.13077, 93.45107 標高 4,600m      渡河してしばらくし・・・ 道を離れてそのまま(南へ)山中に入り・・・広々と     した盆地 わずか三百メートル余りあるにすぎない・・・ 小川が四方から流れ出て・・・     補足/感想      地形図で探すとここしかない。(もう少し西でないと次の野営地まで遠すぎるように思うが)   P61 ククシリバン野営4泊 推定 35.18907, 93.06685 標高 4,650m      山麓を西に向かう。  南折して広い山峡に入り・・・      南方の山中から北流しチュマル河に注ぐ清い渓流をさかのぼり・・・   P63 台地上野営地(峠北)野営1泊 推定 35.14441, 93.04642 標高 4,750m      河に沿って・・・   P64 ククシリ峠山や峠 特定 35.12201, 93.04097 標高 4,750m      峠にかかると、これまた黄色の大地が地平線の彼方まで拡がっている      補足/感想      航空写真に109国道道路と青蔵鉄道が並行している!   P64 山麓野営地(峠南)野営1泊 推定 35.07601, 93.03634 標高 4,750m      ダラダラと長い峡谷をくだって山麓に出・・・   P67 ジュンガル平野沙漠 推定 35.04975, 93.04221 標高 4,600m      一望千里・・・ 沙深く荒涼を極めていた。   P68 比較的草の良い湿地化している平野の真只中に野営野営1泊 推定 35.02705, 93.04545 標高 4,600m     P69 ルンジュン河河湖野営1泊 推定 34.97795, 93.0253 標高 4,500m      この日の行程はまったくわずかなもの      タンラ山嶺の南麓を東に流れ    補足/感想      コンロン山嶺の南麓の思い違いでは?と失礼ですが思います。   P70 平原野営地草原野営1泊 推定 34.92895, 92.96931 標高 4,550m      大地を下って平原に出て一夜   P71 トクトゥ河(赤河)河湖 特定 34.90322, 92.95948 標高 4,550m      草原を南に・・・黄色の濁流が・・・      気の向くままに、低い方へ低い方へと流れ    補足/感想      本では1本の川として書かれているが、航空写真や地図にはこの辺りは赤い水の川が      2本東西に流れている。南北に2~3km離れた2本の河の間に沼地が東西にあり、      これが当時の川筋だと考えると矛盾がない。   P72 トクトゥ河河畔野営1泊 推定 34.87434, 92.95947 標高 4,550m      渡った河畔に野営    補足/感想      「P73 翌日、河畔を離れて間もなく・・・       千畳敷もあるような大地が、白灰、褐、黒色の岩石の断層で敷きつめられ・・・」      と書かれている文様が航空写真でも見える。  34.846064, 92.959641   トクトゥ河河畔から布克馬因峠まで地図では50kmはあるが記述はない。何故かな?   P73 布克馬因峠山や峠通過 推定 34.59229, 92.75602 標高 4,650m      西南方はそのまま台地となって続き・・・     P73 湿地化している平野の真只中草原野営1泊 推定 34.4519, 92.70796 標高 4,600m   P83 リチュー河河湖 特定 沱沱(トト)河 34.08265, 92.8325 標高 4,450m      チベット語で「リチュー」、蒙古語で「ムルオス」。チベットに入り「金沙河」、      「揚子江」となる。   P83 ガル河河湖 特定 通天河 34.04236, 92.8381 標高 4,450m      ガル河は清流・・・ 源をタンラの峠・・・   P83 カンボネガタル草原野営数泊 特定 34.08758, 92.76524 標高 4,500m      北からのリチュー河(濁水、揚子江の源流)と ガル河(清水)が合流・・・      P93 ・・・必死で泳いだ。 P95 ・・・西南方から合流しているガル河を渡っているやつもいて、      再び河を渡らなければならなかった。    補足/感想      P93、P95 両河を必死で泳いで百余頭のヤクを連れ戻した所。      地図では、北からの河(濁水側)は「沱沱河」、清水側は「通天河」になっている。      本書には当時の人々の呼び方を書いてあって、その後、変わったのであろう。      航空写真によると、ここから、濁水側の上流10kmのところを109国道道路と青蔵鉄道が並行している。   P83 河上河畔に野営河湖野営3泊 推定 34.21059, 92.09733 標高 4,600m      川に沿って登る。・・・再びリチューが姿を現し、河畔に出てテント・・・   P106 草の良い盆地野営1泊 推定 34.06459, 92.06429 標高 4,700m      南に向かい・・・   P106 一面の深い湿地河湖 推定 33.92198, 92.22136 標高 4,600m    補足/感想      航空写真で湿地帯を確認できる。   P107 東の丘陵野営1泊 推定 33.9229, 92.27122 標高 4,650m      東へ東へ進んで、ようやくの思いで丘陵にたどり着いた。   P107 ランジュングンニャー山や峠1泊 特定 33.58918, 92.06916 標高 4,800m      山峡に入り・・・ チベット兵が駐屯・・・    補足/感想      ランジュングンニャーとはこのとっても長い(30km)山峡の名前。      上記緯度経度は山峡の入り口と仮定した。      航空写真に109国道と青蔵鉄道が並行していて、この山峡に入る。   P111 シルチェンモの大地野営1泊 推定 33.29336, 91.92642 標高 4,800m      魔の渓谷も登るに従って浅くなり・・・   青蔵鉄道とはこの辺で一旦分かれる。   P113 タンラ峠山や峠 特定 タングラ峠「唐古拉山口」 32.87386, 91.91835 標高 5,231mm    補足/感想      航空写真に109国道道路が走っているしている。      青蔵鉄道のタングラ(唐古拉)駅 5,068m はここから西北西30kmにあり、言わば新タンラ峠。      P83には、次の二つの河       ・北方から金沙江の本流である濁水の「リチュー河」       ・支流である清水の「ガル河」      がカンボネガタルで合流しているとの趣旨の記載があり、      北方から合流する河が本流との認識を検証してみよう。      地図や写真を見ると、       ・主峰33.392014, 91.126933 の北側の水は「沱沱河」になり濁水で、北方から、       ・新旧タンラ峠の北側の水は通天河(金沙江の上流の名前)になり清水で、西方から、      カンボネガタルで合流していて、河の名前からは後者の方が本流であると読める。      地図で推計すると、       前者:沱沱河の源流からカンボネガタルまでの方が、       後者:通天河の源流からカンボネガタルまでより      明らかに長い。、      よって、長い方を本流とすると「北方から合流するリチュー河が金沙江の本流」との      当時の人々の認識が正しいことが裏付けられた!   P115 ペモーガン野営1泊 推定 32.67468, 91.79798 標高 4,900mm      峠に源を発し西南に流れている谷川に添って進んだ。この谷川はナクチュー河に合流し・・・      間もなく河畔の台地でチベットでの第一夜・・・    補足/感想      地図や写真を見ると、タンラ峠からの谷川は西方へ流れて「扎加藏布」河となり、出水河の      ない「昊如错」に流入し消滅している。明らかに10kmほど南の水は「错那」湖32.04839, 91.47548      に流れ込みナクチュー河に流れ出ている。      この辺りは分水嶺であるが平べったい湿原で池や沼が点在している。なので分水の境は      判然としなかったのかもしれない。(もしかしたら70数年の間に変化したかも)   P115 チュゼン(チベット語で温泉の意味)河湖 通過 この辺りか? 32.61885, 91.66607      狭い山峡をさらに西南に下り・・・タンラが雄姿を再び現し、山中から小川が流れ出ている      ・・・山中の入り口には家ほどもある巨岩。    補足/感想      西南に下ってタンラが良く見えて、山中には温泉、とのことで丘の北または北東、      山中に温泉かも知れない池が見える。      西南に下ってとあるので此の辺りだが、もっと東方かも。         P116 チュゼンワ野営1泊 推定 32.36755, 91.70485 標高 4,800m      チュゼンをしばらく下って谷川が南方に屈折しているチュゼンワに到着。   P117 ウザム草原野営4泊 推定 32.19349, 91.51807 標高 4,650m      河を捨て西方の山中へ・・・いたるところシルグ地帯・・・を過ぎ、三カ月目の人里・・・、      北方からの大きな谷川の辺り。ナクチュー河の支流であり二十余の谷川には清流が・・・      対岸には峻俊たる岩山。    補足/感想      地図で見ても、規模、周りの描写、北方からの初めての人里はここ「安多(アムド)」しかない。      4日間も休息し人と家畜の英気を養うする場所としても最適。   しかし、P120にナクチュウー(那曲)へ1日南下との記述があり、とても1日で到達距離ではないのが   腑に落ちない。   ウザムから次の目印、シャクチュー河まで90kmあり遠すぎることも私の観察不足。   P121 シャクチュー河河湖 推定 31.61282, 92.09306  標高 4,550m      西方から東南に流れ・・・ 河幅20m余も・・・この川も南流してナクチュー河に合流。    補足/感想      ウザムを出てその日のうちにこの河に到達しているのは近すぎのように感じるが、      ナクチューやナマズがいる河畔から位置も考慮し推定。   P122 ナマズがいる河畔河湖野営1泊 推定 31.49197, 92.13647  標高 4,600m      西方の沙丘の彼方には待望久しいナクチュウー。南方はシルグの湿地帯。    補足/感想      ナクチュウー(那曲)への街道は北西方向からだが、東方から目指した理由は多数の家畜を      連れているので草を求めているからであろう。   P124 ナクチュー村落野営十余泊 特定 那曲 31.47016, 92.07296 標高 4,500m   P140 ナクチューチャラー野営1泊 特定 31.4107, 91.87706 標高 4,550m      街の西方を南北にはしっていた岩山は西方に遠ざかり・・・      なだらかな丘陵の波打つ台地がどこまでも・・・ 小高い丘陵上にオボ・・・    補足/感想      河を渡った記述がないのと、オバは峠の一番高いところに祀られるのでここ。   P142 マーニーコルチェン河湖渡河 特定 31.38305, 91.85307 標高 4,500m      台地を南に進んで間もなく眼下に広々とした渓谷が開けナクチュー河を渡った。   P143 オルトボルク(意味:長い泉)草原野営1泊 特定 31.2918, 91.77929 標高 4,500m      東西の連山に挟まれた広い山峡・・・ 山峡の中央を尻無川の小川・・・    補足/感想      今も、山峡の中央に小川があり「夯错」に流入しており、夯错に出流河はない。   P144 ガルチンラ峠山や峠通過 特定 31.28622, 91.757 標高 4,600m      翌朝背後の東西の連山を上ってガルチンラ峠を越すと・・・路は西南に向かって・・・    補足/感想      航空写真では青蔵鉄道の駅または施設がある。   P144 メトシャブ大平原草原遠望 推定 31.22811, 91.74898 標高 4,500m      ガルチンラ峠を越すと・・・路は西南に向かってメトシャブの大平原が広がっていた。   ここからラサの手前「ダルン」への行程の特定が特にむずかしい!   P144 メトケーマー野営1泊 この辺りか? 31.04607, ?91.69827      南方の山峡から西方の一望千里の広野に消えている清流・・・ 南方の彼方には河に沿って東西に      走っている台地の崖が、ちょうど石垣のように・・・      翌朝、・・・坦々とした台地を東南に向かう。    補足/感想      この場所が分からない。記述に似ているところを推定さえもできない。前後の野営地からこの辺か?      そして、オルトボルクから次の野営地ドーラ峠の山麓まで遠いのに、メトケーマー1泊なのも気にか      かる。   P145 サンシュン村落 通過 推定 30.90806, 91.6577 標高 4,800m      右手峻領の山麓の部落   P146 ドーラ峠の山麓野営1泊 推定 30.64709, 91.54965 標高 4,550m      サンシュンを過ぎしばらく東南に向かう・・・山麓に野営・・・    補足/感想      サンシュンから東南に向かうルートは地図では見つからないけどこの辺りかな。   P146 ドーラ峠山や峠通過 推定 30.58759, 91.52833 標高 4,650m      メトケーマーで渡河した河は、このドーラの峠で源を発し北流してナクチュー河に注ぐ    補足/感想      地図ではサンシュンの方が標高が高いし、航空写真ではこの峠から北流する河はサンシュンで消えて      おり場所の特定に自信がない。しかし、この辺りに峠はここしか思い当たらない。   P147 ホンラーダサム山峡山や峠通過 推定 30.56811, 91.45163 標高 4,550m      小山が多くなってこせこせした山間・・・   ここから「ラサ」に向かうには、素人目には次三つのルートが思い浮かぶ。   それぞれの特徴を考えてみよう。     a 西南方向へ120kmほど行く。高低差が少なく広いので通行しやすいし、草も良さそう。      大河に出会って東南に折れ、狭い山峡にそって大河とともに90kmほど進み、ラサへ西から入るルート。      高い峠はなく通行しやすそうではある。しかし、河は必ず蛇行する。狭い山峡で蛇行されると      河と山塊に行く手を阻まれて通行できない箇所が出てくるし、河岸と山との幅が広くないと      良い草がない問題もあり隊商とっては致命的である。            b 西南方向へ60kmほど行く。トゥイ河に出会い、トゥイ河に沿って東へ向かうルート。       aルートと同様に山峡の通過に問題があり選択できない。     c 峠越えのルートは、これから行こうとしている以外にもありそうだが、      他の峠越えは遠回りである。   これらの特徴から「ラプランアムチト」は c のルート、いくつもの峠を越えるルートを選んだのであろう。   P147 ドンナ山や峠通過 推定 30.48142, 91.32768 標高 4,450m      南に進むと両側の山は相まって、黒い岩肌の隘口となっている「ドンナ」    補足/感想      もう一つ東の谷筋の可能性もある。   ドーラ峠の山麓からラーニー山中の谷川の河畔まで30kmあるのに、その間一回も野営していないの   は気になる。   P147 ラーニー山中の谷川の河畔野営3泊 推定 30.37292, 91.30966 標高 4,800m      谷川が南に流れている、その河畔   P155 セパン野営2泊 推定 30.31143, 91.3237 標高 4,350m      小高い丘陵にかかって、この峠を越すと、長い下り坂。 盆地のように少し開けところに到着した。   P156 トゥイ河河湖通過 特定 鸟鲁犮曲 30.25949, 91.26256 標高 4,000m      昼なお暗い西方から流れ出ている幅百余メートルの大河   P157 ベンボ吊橋河湖通過 特定 30.25671, 91.26728 標高 4,000m      ベンボの部落が遠望され、吊橋が渡されていた。    補足/感想      航空写真で、吊橋につながっていたと思われる道が見える。今は吊橋がないようだ。   P157 ベンボ村落野営1泊 推定 30.24584, 91.2728 標高 4,150m      少し部落を離れて野営   P159 スリ廟(ゴンバ)山麓廟野営1泊 推定 30.22554, 91.26269 標高 4,350m      美しい白亜のラマ廟・・・ この日はわずかばかりの行程、草の良い山峡で野営     振り仮名の「ゴンバ」はチベット語での廟であろう。     参考文献8「チベット仏教のゴンパと村落」によると「チベット仏教のゴンパ (僧院)・・・ 」と書かれているから。       P160 ドルン村落の丸木橋河湖通過 推定 30.16052, 91.24767 標高 4,350m   P161 チョグ峠山や峠通過 推定 30.11219, 91.26967 標高 4,850m      峠の上りも下りもだらだらと長いだけ   P161 西方の山中野営1泊 推定 30.00611, 91.25688 標高 4,000m      河は南に折れて広々とした山峡   P164 ペンボー平原草原野営1泊 特定 29.92506, 91.17997 標高 3,800m      山峡を谷川にそって南に進み、ようやくのこと一大盆地の平原・・・真只中にテントを張った   P169 ガンデン河河湖 特定 29.90226, 91.21456 標高 3,800m      ラサに入るにはガンデン河に沿って東に下りキチュー河にでて、川に沿ってラサに      入る道の良いう回路もあったが、一行は南に向かいゴーラの山麓へ進んだ。    補足/感想      キチュー河とはラサ河のこと。   P169 ダルン村落通過 推定 29.88299, 91.21164 標高 3,800m      ガンデン河を離れて間もなく、ダルンの部落を通過・・・   P169 ゴーラ峠山や峠通過 特定 29.79227, 91.17566 標高 5,050m      後をふりかえれば、眼下の黄金に敷き詰められたベンボーの盆地・・・      行く手眼前は・・・底知れね千仞の谷・・・   P171 セパン村落通過 特定 29.72548, 91.15432 標高 3,850m      南へ南へと下り、山峡のセパン・・・西方から谷川・・・多くの隊商が休息    補足/感想      維巴村 という地名が地図にある。   P171 キチュー平原の一角草原野営1泊 推定 29.71067, 91.16118 標高 3,750m   P172 ラサ廟滞在 特定 拉萨 29.65575, 91.11923 標高 3,600m      山峡を出ると、広大なキチュー平原が開けてきて、西方はるか彼方にラサの姿を現した。

D 地名など索引 有名は除く(著書に書かれた発音の五十音順)

アラシャン    特定 現在の寧夏回自治区を含む広大な地域で内モンゴル同様に蒙古族の故郷 上 P157 アルチ      灌木の一種、葉や小枝を石でつき粉末にしてハッタイ粉と混ぜて「ソルと呼ぶ香」にする P105 アバカイン河   推定 42.48648, 111.10286    標高 1,050m 上 P100 アラガイノール(阿藍湖)特定 阿拉克湖 35.58627, 97.15461 標高 4,150m 中 P34 イシ       著者との同行者で、35歳前後の蒙古人ラマ(僧) 上 P84 イシ       著者との同行者で、50歳前後の蒙古人ラマ(僧) 中 P16 ウザム 安多(アムド) 推定 32.19349, 91.51807   標高 4,650m 中 P117 ウニンオス    推定 41.67129, 107.1811    標高 1,500m 上 P116 オーズル     著者との同行の隊長挌、53歳前後蒙古人ラマ(僧) 上 P84 中 P16 オウフ(中公旗の王府)推定 41.61111, 108.18556   標高 1,400m 上 P111 オボ       石を積み上げられた祭壇、峠などに祀られ旅行者からの目印にもなる 上 P146 中 P113 オランオス(赤い河)推定 41.71898, 107.82221    標高 1,600m 上 P114 オランダバー(赤い峠) 推定 37.49113, 104.38144  標高 1,750m 上 P284 オランダバー(赤い峠) 特定 36.49157, 101.57877  標高 2,650m 上 P308 オランチチク(赤い花) 天然痘の俗称 上 P189 オランハタ(赤い丘)推定 42.8291, 111.48076    標高 1,000m 上 P95 オランホショー(赤い鼻)監視所 特定 40.23658, 105.63318 標高 1,400m 上 P162 オルトボルク(長い泉)特定 31.2918, 91.77929    標高 4,500m 中 P143 オロン・スム   特定 41.96068, 110.48511    標高 1,200m 百霊廟の北30kmにある遺跡 サザエの形の島(海心山) 特定 36.86149, 100.13685 標高 3,262m 上 P465 ガル河      特定 通天河34.04236, 92.8381  標高 4,450m 中 P83 ガルチンラ峠   特定 31.28622, 91.757     標高 4,600m 中 P144 ガンデン河    特定 29.90226, 91.21456     標高 3,800m 中 P169 カンブノオボ   特定 昆仑山口 35.64661, 94.06369 標高 4,767m 中 P52 カンボネガタル  特定 34.08758, 92.76524    標高 4,550m 中 P83 キチュー平原   推定 29.71067, 91.16118    標高 3,750m 中 P171 ギョクジュホウ玉珠峰 クンルン崑崙山脈の主峰35.654, 94.24754 標高 6,178m 中 P52 絹の道 赤色ルートの大道 特定 36.74517, 103.24033 標高 2,100m 上 P290 クーロン(庫倫) 現在のウランバートル 中国語の旧名       上 P74 ククシリ     推定 35.13077, 93.45107    標高 4,500m 中 P57 ククシリバン   推定 35.18907, 93.06685    標高 4,650m 中 P61 ククシリ峠    特定 35.12201, 93.04097    標高 4,750m 中 P64 ククノール(青海湖)特定 37.01626, 100.19391   標高 3,194m(現在) 上 P458 クンルン(崑崙) 特定 35.7845, 94.60471     標高 5,350m 中 P50 コウアギジュク 興亜義塾 綏遠、厚和 推定 40.82273, 111.657388 標高 1,050m 上 P28 ゴウゲンクトウル峠推定 36.668, 98.77486 標高 3,681m 上 P475 コウワ 厚和    特定 綏遠城 フフホト市(呼和浩特市) 40.85442, 111.66656 標高 1,300m 上 P28 高廟子      特定 36.44322, 102.54156   標高 2,000m 上 P296 ゴーラ峠     特定 29.79227, 91.17566    標高 5,050m 中 P169 高塞堡      特定 高塞鎮 36.54126, 101.99655 標高 2,150m 上 P302 ゴトウショウ(五当召)特定 40.7914, 110.30789   標高 1,500m 上 P32 ゴルゴ      チベット族の一部族             中 P120 ゴンバ      チベット語で 廟 の意味          中 P159 サッチン廟    特定 四子王旗の近辺 41.49837, 111.64439 標高 1,500m 上 P66 サルタン大道   青海とラサを結ぶ経路            中 P50 サンシュン    推定 30.90806, 91.6577     標高 4,800m 中 P145 サンセンジン(三川人:青海省民和県出身者) 36.32175, 102.8301 標高 1,000m 上 P79 ジャガスタイダバー(魚の峠) 推定 36.75353, 99.60681 標高 3,820m 上 P471 シャクチュー河  推定 31.61282, 92.09306    標高 4,550m 中 P121 シャラフドー   特定 沙拉庫岱 38.5181, 105.59786 標高 1,300m 上 P265 シャラムシン廟  不明                    上 P74 ジャルタイ沙漠  特定 39.7751, 105.74968    標高 1,000m 上 P164 シャン(尚格)  特定 香日徳鎮 上柴開村 35.98925, 97.85842 標高 3,050m 上 P477 シュキンゴール  特定 35.74226, 95.33891    標高 3,950m 中 P49 ジュン      特定 ヨゴラインゴール下流の草の良い広大な地域 中 P129 ジュンガル平野  推定 35.02705, 93.04545    標高 4,600m 中 P68 商都       特定 商都県 41.56522, 113.57577標高 1,400m 上 P74 荘浪河、庄浪河  特定 36.74571, 103.2421    標高 2,100m 上 P290 ショルゴルゲンホトク:蟻の泉 推定 37.62131, 104.56538 標高 1,500m 上P278 スイエン綏遠城  特定 フフホト市(呼和浩特市) 40.85442, 111.66656 標高 1,050m 上 P28 スム       モンゴル語で 廟 の意味 スリ廟(ゴンバ) 推定 30.22554, 91.26269    標高 4,350m 中 P159 シルチェンモ大地 推定 33.29336, 91.92642    標高 4,800m 中 P111 西寧河      特定 湟水河 36.55803, 101.92641 標高 2,150m 上 P302 西寧城      特定 36.61694, 101.78519   標高 2,250m 上 P303 石拐子      特定 石拐 40.67276, 110.26419 標高 1,250m 上 P32 セパン      特定 30.31143, 91.3237     標高 4,350m 中 P155 セパン      特定 29.72548, 91.15432    標高 3,850m 中 P171 善丹廟      特定 41.15401, 106.32665    標高 1,700m 上 P131 善隣協会 張家口  特定 40.82557, 114.87496    標高 800m  上 P41 タール寺(塔爾寺) 特定 36.49003, 101.56731    標高 2,650m 上 P308 大通河      特定 36.5998, 102.82602    標高 1,900m 上 P294 ダブスノール(塩湖)特定 36.70971, 99.07242    標高現在 3,061m 上 P472 ダルン      推定 29.88299, 91.21164     標高 3,800m 中 P169 タング―ト人   ラサまで同行させてくれた隊商で商人やラマ  中 P16~19 タングラ駅    特定 33.00707, 91.64912    標高 5,068m 中 P113 タンサール(斑沙爾)特定 36.51548, 101.54419   標高 2,677m 上 P444 タンラ峠     特定 32.87386, 91.91835    標高 5,231m 中 P113 チャガンオス(察汗鸟苏) 特定 36.29539, 98.1365 標高 3,212m 上 P477 チャガン河の河畔 特定 35.95513, 97.06255    標高 3,700m 中 P28 チャハルオス大低地の井戸端 推定 39.75197, 105.66146 標高 1,000m 上 P165 チャラン河    推定 41.15161, 106.41928    標高 1,750m 上 P128 チャンドウ    特定 昌都(チャムド) 31.13926, 97.17875 標高 3,700m 中 P28 チュゼン(温泉)  この辺りか? 32.61885, 91.66607 標高 5,000m 中 P115 チュゼンワ    推定 32.36755, 91.70485    標高 4,800m 中 P116 チュマル平野   推定 35.3625, 93.60444     標高 4,500m 中 P56 チュマル河    特定 楚玛尔河 35.31772, 93.52948標高4,500m 中 P56 チュモチェザン  特定 35.65514, 94.06681    標高 4,750m 中 P51 チュンジュンリブ 特定 35.71199, 94.3237     標高 4,250m 中 P51 チョーホルトロガイ監視所:斑の頭の監視所 特定 扎哈道蘭 37.56059, 104.47359 標高 1,600m 上P278 長城の跡     推定 37.39899, 104.2128    標高 1,650m 上 P286 チョグ峠     推定 30.11219, 91.26967    標高 4,850m 中 P161 ツァイダム盆地  特定 柴達木(チャイダム)盆地   標高 2,700m 中 P35 ツオムラ     推定 ウザムからナクチュー北部にかけての一帯(ゴルゴ族の大平和郷) 中 P120 定遠英      特定 阿拉善左旗 38.84784, 105.65953 標高 1,500m 上P166 デブスイン峠   特定 36.00006, 97.59728    標高 3,200m 中 P15 デリス      家畜が好んで食べる草            上 P93、170 テングリエリス:天の沙漠 特定 37.68883, 104.63269 標高 1,400~1,500m 上 P274~277 テングリ峠    特定 36.63344, 102.6295    標高 3,200m 上 295 ドーラ峠     推定 30.58759, 91.52833    標高 4,650m 中 P146 トゥイ河     特定 鸟鲁犮曲 30.25949, 91.26256標高 4,000m 中 P156 トガン廟     推定 兔窩 36.96303, 103.57989 標高 2,500m 上 P288 トクトゥ河(赤河)推定 34.87434, 92.95947    標高 4,550m 中 P71 トクミン廟    推定 42.65403, 112.51563    標高 1,150m 上 P75 トト河(沱沱河) 特定 34.08265, 92.8325     標高 4,450m 中 P83 ドルン      推定 30.16052, 91.24767    標高 4,350m 中 P160 ドングル(湟源:ハングワン) 特定 36.68603, 101.27421 標高 2,628m 上 P453 ドンナ      推定 30.48142, 91.32768    標高 4,450m 中 P147 ナーシャ     アラシャン地域に見られる害草、デリスと似ているので要注意 上 P93、170 ナクチュー    特定 那曲 31.47016, 92.07296  標高 4,500m 中 P124 ナクチューチャーラー 特定 31.4107, 91.87706   標高 4,550m 中 P140 ナムラ峠     特定 35.79233, 97.11478    標高 4,750m 中 P31 ナランボルク   推定 41.18409, 106.43039    標高 1,700m 上 P128 ニタクの嶺(ホーラン山) 特定 38.80879, 105.93086 標高 3,500m 上 P161,P230 日月山の連山   特定 36.562, 100.99644 最高峰標高 4,592m 上 P456 ノイン山     推定 40.26911, 105.66251    標高 1,850m 上 P160 パオトウ(包頭) 特定 包頭市 40.66304, 109.82348標高 1,050m 上 P31 ハイリュート廟  特定 41.5845, 108.53431    標高 1,300m 上 P110 パイン山     推定 39.47105, 105.06903    標高 1,400m 上 P160,265 パインタラ沃野  特定 40.69043, 111.62739    標高 1,000m 上 P28,43 バインボルク   特定 巴彦呼都格 38.07312, 105.15693 標高 1,350m 上 P271 白馬寺      特定 36.51724, 102.09796   標高 2,100m 上 P301 バト       同行者の隊長の養子9歳、バロン廟で天然痘で死亡 上 P84、P189 ハノン(巴音)   推定 41.77021, 107.49369    標高 1,500m 上 P115 ハラチョロ廟   推定 41.31995, 106.92419    標高 1,850m 上 P119 ハラモリト(黒馬)の井戸 推定 40.15554, 105.56131 標高 1,300m 上 P164 バロン廟     特定 38.66324, 105.80301    標高 2,000m 上 P171 バロン・ソーゲン廟 推定 42.20019, 112.26054   標高 1,300m 上 P75 ヒカエイ裴家営  推定 37.36632, 104.09965   標高 1,600m 上 P286 武威市の手前「大靖」近くの裴家営とは別 ヒャクレイビョウ(百霊廟)特定 41.70091, 110.4408標高 1,300m 上 P45 フチャン     推定 フチャン 何家营村:何家営村 36.791956, 103.197665 標高 2,300m 上 P291 ブセン(武川)  特定 41.09832, 111.44529    標高 1,600m 上 P44 平安郷      特定 平安鎮 36.50192, 102.11226標高 2,100m 上 P301 平地泉      特定 40.94039, 113.1308    標高 1,300m 上 P30 ペモーガン    推定 32.67468, 91.79798    標高 4,900m 中 P115 ベンボ吊橋    特定 30.25671, 91.26728    標高 4,000m 中 P157 ペンボー平原   特定 29.92506, 91.17997     標高 3,800m 中 P164 ホーラン賀蘭山脈 特定 38.99045, 106.06651    標高 2~3,000m級 上 P161,165 ホトン      回教徒                   上 P160 ボルガスタイ廟  推定 40.45934, 106.07983    標高 1,250m 上 P162 ボルハンオール山脈 推定 善丹廟の北から狼山山脈の南端西側にかけて連なる低めの山々 上 P131 ボルハンブダ山脈 特定 布爾汗布達山脈             中 P30 ホンラーダサム山峡推定 30.56811, 91.45162    標高 4,550m 中 P147 マーニーコルチェン特定 31.38305, 91.85307    標高 4,500m 中 P142 メトケーマー   不明 ?31.04607, ?91.69827          中 P144 メトシャブ大平原 推定 31.22811, 91.74898    標高 4,500m 中 P144 メンダーレモ   推定 35.53562, 93.76151    標高 4,600m 中 P54 モガイト廟    推定 41.67563, 109.02456    標高 1,650m 上 P110 ユシュ 玉樹    特定 33.00756, 97.01084           中 P35,P120 ヨゴラインゴール 特定 香日徳河 35.921097, 97.946808      上 P477 ラーニー山中谷川 推定 30.37292, 91.30966    標高 4,800m 中 P147 楽都       特定 36.4826, 102.40367    標高 2,000m 上 P298 ラッシ      著者との同行者、25歳前後蒙古人ラマ(僧) 信義に厚い 上 P84 ラサ       特定 拉萨 29.65575, 91.11923  標高 3,600m 中 P172 ラプランアムチト シャンからラサまでの同行を許してくれた熟練隊長で大商人 中 P18~19 ランジュングンニャー 特定 33.58918, 92.06916  標高 4,800m 中 P107 リチュー河    特定 トト河(沱沱河)34.08265, 92.8325 標高 4,450m 中 P83 リュースル(魯沙爾)特定 36.49806, 101.56509   標高 2,644m 上 P444 ルンジュン河   推定 34.97795, 93.0253     標高 4,500m 中 P69 連城鎮      特定 36.58786, 102.8408    標高 1,900m 上 P293 ロウザン狼山山脈(東部)特定 41.21502, 109.29583 標高 1,800m 上 P110 ロウザン狼山山脈(西部)特定 41.18458, 106.83837 標高 2,300m 上 P119 読み方不明 烏蘭干吉爾廟   43.15191, 112.98906      標高 1,050m 中 P73 布克馬因峠    推定 34.59229, 92.75602    標高 4,650m 上 P75

参考文献

1 西川一三著『秘境西域八年の潜行』中公文庫(上・中・下)中央公論社       上 1990年10月10日発行       中 1990年12月20日発行       下 1991年 1月25日発行 2 Google マップ https://www.google.co.jp/maps/ 3 Google Chrome Google翻訳 4 世界地図帳 昭文社 1994年1月 第42刷発行 5 ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/メインページ 6 渡邉 智央(わたなべ のりお)  秘境西域の旅(三)内蒙古――潜行決意 ぼくとう春秋 Web版 平成元年三月号 http://rinkiouhen.jugem.jp/?month=198903  秘境西域の旅(六)内蒙古――文革の爪痕 ぼくとう春秋 Web版 平成元年六月号 http://rinkiouhen.jugem.jp/?month=198906  秘境西域の旅(九)青海――信仰の灯 ぼくとう春秋 Web版 平成元年九月号 http://rinkiouhen.jugem.jp/?month=198909  秘境西域の旅(十)青海――テングリ峠から青海湖へ ぼくとう春秋 Web版 平成元年十月号 http://rinkiouhen.jugem.jp/?month=198910 7 横浜ユーラシア文化館 オロンスム文書データベースMongolian Manuscripts from Olon Süme http://www.eurasia.city.yokohama.jp/olonsume/index.html    の 松田孝一 オロンスムの発見と歴史 http://www.eurasia.city.yokohama.jp/olonsume/dis-his.html 8 神谷武夫 チベット仏教のゴンパと村落 http://www.kamit.jp/06_himalaya/4_tibet/tib_kor.htm 9 阿柔 瀚巴図 2006-10 農業経済研究報告 38巻 P1~8 20世紀初頭における中国の羊毛生産と輸出構造の変化 10 ハスチムガ モンゴル自治邦における日本の衛生・医療活動 11 毎日頭條 2018-03-09 由 烏拉特後旗旅遊 發表于旅遊 https://kknews.cc/travel/3lnpy6y.html 12 CASIO COMPUTER CO., LTD keisan 生活や実務に役立つ計算サイト https://keisan.casio.jp/    地図から目的地の標高や水深を求める    2地点間の距離と方位角 13 澤井 充生 日本の回教工作と清真寺の管理統制 ---蒙彊政権下の回民社会の事例から--- 14 藤原 晃(談)原山 煌、森田憲司(編注) 1986年 談話記録 「西北研究所の思い出」 http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/AN10086451-19861200-1004.pdf?file_id=1559    その58ページ 図1 当時の張家口  作図 京都大学 地理学研究室 利光 有紀 15 コトバンク 万里の長城築城の変遷 copyright Shogakukan
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